遠藤の系譜

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔
紫糸威二枚胴具足
紫糸威二枚胴具足

遠藤宗家 系譜

本 姓 桓武平氏
本 国 美濃国
家 紋 左三つ巴
旗 本 徳川将軍家 直参御目見得
家 禄 一万石以下
知行地 近江国
屋 敷 青山甲賀屋敷、千駄ヶ谷甲賀屋敷
菩提寺 青山 浄土宗 高徳寺
略系図

①遠藤左太夫 先祖⇒②遠藤左太夫 初代⇒③遠藤左太夫⇒④遠藤左太夫⇒⑤遠藤左太夫⇒⑥遠藤左太夫⇒⑦遠藤左太夫⇒⑧遠藤左太夫⇒⑨遠藤左太夫⇒⑩遠藤左太夫⇒⑪遠藤左太夫⇒⑫遠藤左太夫⇒⑬遠藤左太夫/ 榮次郎⇒⑭遠藤市次郎⇒⑮遠藤榮⇒⑯遠藤武⇒⑰遠藤寬⇒⑱遠藤輝

(注)

一.宗家を中心に据えた系図であり、実子関係を表す。

二.十三代までは旗本、十三代まで先祖 左太夫を襲名し、複数の名前を所有。
十四代、十五代は士族。

役 職

① 甲賀組百人武士
 徳川家康公は、石田三成の伏見城受渡を死守する為、近江瀬田城主 山岡景隆の弟景友に
 甲賀百人組の編成を指示。

② 甲賀組百人同心
 伏見城で討死した甲賀百人武士の子孫は、直参御目見得として
 江戸城 大手門百人番所を警備。

⑬ 甲賀組御納戸同心
 徳川将軍家の金銀、衣類、調度品等を管理する職務。

⑭ 講武所奉行(幕府陸軍奉行)
 文久二年(1862年)甲賀百人組解体にて、大砲組に編入。

⑮ 宮内庁 大正天皇侍従
 明治二十二年(1889年)十一月三日 東宮職が新設され官制が定められ、
 東宮大夫の管轄にて文官。

⑯ 陸軍省 近衛捜索連隊補充隊下士官
 大日本帝国陸軍近衛師団は、一般師団とは異なり、最精鋭かつ最古参の軍隊として、
 天皇と宮城(皇居)を警衛する「禁闕守護」の責を果たし、また儀仗部隊として、
 「鳳輦供奉」の任にも当たる。

⑰ 弁護士(第一東京弁護士会)
 江戸城を築城した太田道灌資長は、母方/里子(桓武平氏千葉家流栗原家)の
 従兄弟である、太田資和の祖先。

院 号 先 祖 遠藤 左太夫 慶長 五年 七月 戒日 【大誉忠節禅完門】
初 代 遠藤 左太夫 元和 元年十二月 四日 【豊ヨ翁心禅完門】
十三代 遠藤 左太夫 文久 二年 八月十一日 【法正院興誉隆本信士】
十四代 遠藤 市次郎 昭和 七年 四月十二日 【高顕院徳誉市翁居士】
十五代 遠藤  榮  昭和十九年 三月十三日 【泰徳院興誉玄栄居士】
十六代 遠藤  武  平成 五年 八月十五日 【雲光院盆誉武徳居士】
所 属 先 祖 遠藤 左太夫 甲賀組 百人武士
初 代 遠藤 左太夫 甲賀組 百人武士
十三代 遠藤 左太夫 甲賀組 百人武士、御納戸同心
十四代 遠藤 市次郎 講武所奉行 大砲組、士族、高徳寺 檀家総代
十五代 遠藤  榮  宮内庁 大正天皇侍従、高徳寺 檀家総代、甲賀稲荷神社 氏子大総代
十六代 遠藤  武  陸軍省 近衛捜索連隊補充隊下士官、東京都 財務局公吏、高徳寺 檀家
系譜一 桓武平氏流  遠藤氏
系譜二 藤原氏流   遠藤氏
系譜三 甲賀百人武士 遠藤左太夫先祖

遠藤家の略系図

遠藤左太夫を始祖とする遠藤宗家(旗本家) は、徳川家康公が天正十八年(1590年) に江戸に入府し、慶長八年(1603年) に同地に幕府をひらき、爾後260年余、徳川将軍家 直参御目見得として日本の統治及び警備を行いました。
その後、明治元年(1868年) の明治維新以降、華族令の制定により明治十七年(1884年) に士族となり、 第十五代当主遠藤榮(宮内庁 大正天皇侍従)を経て、第十六代当主遠藤武(陸軍省 近衛師団下士官・東京都 財務局公吏)、第十七代当主遠藤寛(辯護士)に至っております。

略系図

略系図