遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

帝国ホテル本館

2022年07月30日
渋沢栄一同様に德川将軍家幕臣(直参御目見得:旗本)であった第十八代遠藤潔の先祖である遠藤宗家は、若年寄支配下(設立当初は老中支配、寛政の改革後に若年寄支配)の甲賀武士「鉄砲百人組」に所属した。德川将軍家親衛隊の一つである「鉄砲百人組」の職務は、平時は江戸城大手三之門の番所(現存の「百人番所」)に詰め、各組交替で三之門の警衛を行っており、将軍が将軍家両山(上野寛永寺、芝増上寺)、日光東照宮の参詣や鷹狩の際に警護役を担った。

江戸時代、江戸に常住する武家には、江戸幕府から屋敷用地が与えられた。江戸に常住する武家には、将軍家と直接主従関係を結ぶ旗本・御家人と、大名および大名の家臣がいた。このうち、幕府から屋敷用地が与えられたのは、大名、旗本、御家人であり、その屋敷が特に江戸藩邸と呼ばれるのは大名の屋敷である。

約四百年前まで帝国ホテルの辺りは、日比谷入江所と呼ばれる海岸線であった。17世紀初め、德川幕府は江戸城の拡張するために入江を埋め立て、そこに屋敷を建てて住むことを全国の大名に命じた。埋め立てられた入江の愛宕下から丸の内までの範囲は、多くの大名屋敷が集中していたことから、明治維新の260年間に渡って大名小路と呼ばれていた。帝国ホテルの一角は、德川家康公次男結城秀康公の長子である松平忠直越前松平家第二代当主屋敷であった。その後、備後福山藩阿部家上屋敷となった。

1890年(明治23年)11月3日 国を挙げて近代国家を目指した「日本の迎賓館」の役割を担って、当時の外務大臣である井上馨の呼びかけに応じた德川慶喜 徳川将軍第十五代の幕臣であった渋沢栄一と大倉喜八郎らが中心となり、帝国ホテルが誕生した。渋沢栄一は、帝国ホテル代会長に就任する。帝国ホテル常連客には、德川慶喜公の四男である德川厚男爵。德川慶喜公曾孫の井出純氏は、1973年から2002年まで帝国ホテルに在職していた。

帝国ホテル東京の敷地内には、渋沢栄一初代会長の胸像がある。その胸像は、渋沢栄一会長が会長職を辞した16年後(当時86歳)の1925年(大正14年)に造られた。当初は、1923年(大正12年)に開業したニ代目本館(ライト館)内の中央にあった大食堂を挟んで、渋沢栄一像、二代目会長の大倉喜八郎像がそれぞれ南北の中庭に設置された。両胸像は、帝国ホテルの従業員一同が両翁の徳を慕って造ったものである。1970年(昭和45年)現在の本館が完成した際に、現在の駐車場入り口付近に移された。

遠藤潔 第十八代遠藤宗家は、ホテルやレストランでサービスを統括するメートルドテルの組織化、技術のレベルアップを図る日本メートルドテル協会に所属。帝国ホテル、ザ・クレストホテル(帝国ホテルグループ)、三井不動産ホテルマネジメント(三井不動産グループ)等に従事した。

その由緒により、2012年3月1日 株式会社遠藤総合研究所(本社:東京都千代田区大手町、代表取締役社長:遠藤潔、以下「遠藤総研」)は、帝国ホテルタワーを迎賓館として新設した。2015年4月1日 宮下修 元株式会社帝国ホテル取締役・元株式会社帝国ホテルハイヤー社長が、遠藤総研商業顧問に就任。2022年度~2031年度にかけて順次着工する国内最大レベルの大規模再開発に伴い、2022年8月1日より帝国ホテル本館へ移転する。帝国ホテルのHP、館内の案内板にも記載されてない最高級会員制「ゴールデンライオン」は、1971年の開設以来、各界VIPのプライベートスペースとして、世界の美味と銘酒を優雅なピアノの調べに包まれるサービスにより、極上のおもてなしを提供している。

遠藤総研は、最近の経済構造の変化や専門性を要する経営に対処するためには、真に高度の専門知識・ノウハウを有した総合力を備えたシンクタンクを構築することが必要であるとの認識により実現した。総合コンサルタント企業として、「政策研究調査」「企業経営・営業戦略研究調査」「教育研修・講演会事業」の3つの機能を組み合わせ、ビジネスのあらゆる分野でバリューチェーンの最適化を図り、付加価値を最大化することで、お客様のニーズに幅広くお応えしている。

遠藤潔 第十八代遠藤宗家と共に江戸城を築城した太田道灌公を先祖と同じくする社賓の太田資暁 太田道灌公十八代は、東京海上専務、東京海上あんしん生命社長を経て、現在は出光興産監査役などを歴任。「NPO法人 江戸城再建を目指す会」、「太田道灌公墓前祭実行委員会」会長を務め、歴史を継承する活動に取り組んでいる。

【 所在地 】 東京都千代田区内幸町1-1-1
【 竣 工 】 1970年2月
【 用 途 】 事務所、店舗、客室
【 階 数 】 地上17階、地下3階、塔屋2階 
【 敷 地 】 24,356㎡(帝国ホテル東京全体)
【 建 築 】 11,414㎡(本館部分)
【 延 床 】 121,833㎡(本館部分)
【 建築主 】 帝国ホテル
【 設 計 】 高橋貞太郎、武藤研究室
【 施 工 】 帝国ホテル本館新築工事共同企業体(鹿島建設、清水建設、大林組)
【 開 業 】 1970年(昭和45年)3月10日


■ 帝国ホテル
1887年(明治20年) 井上馨初頭外務大臣、新ホテル建設を渋沢栄一、益田孝、大倉喜八郎らに諮る、有限責任東京ホテル設立 (資本金26万円)、1890年(明治23年) 帝国ホテル開業 (総建坪1300余坪、ドイツ・ネオ・ルネッサンス式木骨煉瓦造3層、室料は最下等50銭、2食付き2円50銭09円)、1909年(明治42年) 帝国ホテル株式会社と株式会社メトロポールホテルが合併し「株式会社帝国ホテル」設立、1910年(明治43年) 宮内省御用指定、ホテル初郵便局開設、1916年(大正5年) 臨時株主総会新ホテル建設決議、フランク・ロイド・ライト来日、1920年(大正9年)ライトの設計別館新築工事、1923年(大正12年)新館 (ライト館) 全館落成 (鉄筋コンクリート・煉瓦コンクリート構造、地上5階・地下1階、延床面積1万535坪、客室数270室)、新館落成披露準備中関東大震災発生、企業・各国大公使館事務所として客室提供、1933年 (昭和8年) 上高地ホテル開業披露式 、1950年(昭和25年) 政府登録ホテル第一号、1970年(昭和45年) 新本館開業式、1971年(昭和46年) 帝国ホテル列車食堂 (株) 設立、1973年(昭和48年) 帝国ホテルハイヤー (株) 設立、1974年(昭和49年) (株) インペリアルキッチン設立、1977年(昭和52年) 上高地帝国ホテル竣工披露式、1992年(平成4年) ザ・クレストホテル津田沼開業、1993年(平成5年) バリ インペリアルホテル開業、1995年(平成7年) ザ・クレストホテル立川開業、1996年(平成8年) 帝国ホテル大阪開業、2000年(平成12年) 「ザ・クレストホテル柏」開業。