遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

藤堂高虎 藤堂宗家初代

2016年08月08日
伊勢国津藩初代藩主である藤堂宗家初代の藤堂高虎は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名である。

何度も主君を変えた戦国武将として知られ、最後は徳川家から伊勢の国を拝領した。伊勢の国は、当時の旧東海道、特に神戸から伊勢、鈴鹿峠にかけてはいわゆる甲賀組の領地でもあった。

高虎の出世の一番の要因は情報の収集力とされ、特に甲賀組とは深く繋がっていた。その理由のひとつが、高虎の長女が甲賀衆の家に嫁いだことである。戦乱後も甲賀組は、藤堂家と良好な関係を保った。

江戸城大手門は、慶長11年(1606)藤堂高虎の縄張り(設計)によって作られた江戸城の正門で、 大名や役人が本丸に登下城するときに使われた門である。この門は、 敵が侵入しずらいように、カギ型に曲がって門を配置した「枡形門」 という戦略的な形をしている。外側の門を「一の門(高麗門)」、内側の門を「二の門(本御門)」 という。

大手三ノ門の百人番所は、若年寄支配で江戸城内最大規模の鉄砲百人組(伊賀組・甲賀組・根来組・二十五騎組)の4組が交代で警備していた詰所である。甲賀武士である遠藤宗家は、譜代に準ずる直参御目見得(旗本)として将軍家の警護を賜った。



■ 藤堂高虎
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主。藤堂家宗家初代。何度も主君を変えた戦国武将。築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城。高虎の築城は石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。