遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

ジョルジョ・スタラーチェ 駐日イタリア大使

2021年07月03日
駐日イタリア大使館のジョルジョ・スタラーチェ大使は「イタリアは勇気と決意を持って、パンデミックの最も暗く困難な時期を耐え忍び、日常を取り戻すべく日々を前向きに進んでいます。政府と市民の努力により、効果的なワクチン接種を実施したため、すべての国民の安全を守りながら、今後数ヶ月以内に日常生活の再開がなされることでしょう」と述べた。

アリタリア−イタリア航空(AZA)は6月22日、駐日イタリア大使館と共同で記者会見を行い、新型コロナウイルスの影響で運休していた日本−イタリア間の定期旅客便の運航を再開すると発表した。7月9日(羽田発は7月11日)から羽田−ローマ線の運航を開始する。イタリア政府が陰性証明の提示などを条件に到着後の隔離措置を免除することを決定したことを受けて、日本路線の運航スケジュールを9月8日迄決定した。東京オリンピック・パラリンピック期間中は最大週5便で運航を行う。

イタリアと日本の正式な関係が始まったのは、1866年(慶応2年)5月27日 イタリア海軍コルヴェッタ蒸気船が横浜湾に着湾した際のことである。同年8月25年 日伊修好通商条約が締結された。1872年(明治5年)イタリア大使館は、東京の虎ノ門に拠点を置いた。1922年(大正11年) イタリア政府は、紀尾井町にあった旧オースリア・ハンガリー帝国大使館の所有権を取得した。

しかし、この建物は1923年(大正12年)9月1日 関東大震災による被害を受け、1932年(昭和7年)3月 旧松方侯爵邸が置かれていた現在の大使館(東京都港区三田二丁目)に移転した。大使公邸は1945年(昭和20年) 東京大空襲によって焼失したことにより、1959年(昭和34年) イタリアの建築家ピエール=フランチェスコ・ボルゲーゼが、当時の日本のモダニズム建築の代表的存在であった村田政真建築士からの協力を得ながら、改築案をまとめた。1963年(昭和38年)最終案が承認されたことにより、1963年(昭和40年)4月 新大使公邸は、竣功した。イタリア様式と日本建築技術が融合した大使公邸は、現代建築を代表する建物として知られている。

東京最古の庭園の一つであるイタリア大使館の庭園は、松山藩(現在の四国西部)の4代藩主であった松平隠岐守の中屋敷であった。17世紀にはすでに存在しており、幾世紀にも渡る樹木や石塔が現存している。1702年(元禄15年)12月14日 赤穂浪士47名のうち10名が同屋敷で切腹した。現在の池の一部は、実際に切腹が行われた場所を掘り起こしてから、人工的に作られた。その掘り起こされた土で、庭園から最も遠い場所に小さな丘が作られた。1939年(昭和14年) 同出来事を日伊両国語で刻んだ記念碑が、小さな丘に建立された。 徳川幕府が終焉を迎えた後、第4・6代 内閣総理大臣の松方正義公爵邸として、大正13年(1924年)まで使用されていた。

大使公邸の主要建物の内部は4つの大部屋に分かれており、それぞれが中断されることなくひと続きの空間になっている。その中の3つの部屋は主軸に沿って一直線に並んでおり、中央サロンの東側は大食堂へ続き、西側は数段の階段を降りると大広間へ通じるようになっている。この広間は天井の高さが他の部屋の二倍となっており、それによって空間に広がりが出るとともに、2つの階に分かれた建物の内部構造がはっきりとわかる。「天使の間」は建物の翼部を占める庭に面した「池の間」につながっており、その広間の扉は三面ガラス戸のみで外側に向けて視界が広がっている。

大使公邸のエントランスホールには、ルーチェ・フォンターナの卵型の作品「空間の概念」。900年代を代表する抽象派の一人ジュリオ・トゥルカートの「鉄条網」(1972年)、ガストーネ・ノヴェッリの「秘めやかなる快楽」(1965年)、エンリーコ・カステッラー二の「白の上」(1966年)など現代イタリアの絵画や彫刻の巨匠達の作品も建物と調和している。アルナルド・ポモドーロ作のブロンズの大きなパネルは、500年代の家具と見事に調和している。ジョ・ポモドーロの作品としては、大広間の暖炉の脇には、黒大理石の浮彫(1967年)が置かれている。他にもブッリ、サントマーソ、ドラツィオなどの現代イタリアの芸術家の作品と並んで、公邸の空間に華を添えている。


■ ジョルジョ・スタラーチェ
59年2月23日ヴィテルボ市生まれ、ナポリ・ヌンツィアテッラ陸軍士官学校卒業、82年ボッコーニ大学経済学部卒業、85年イタリア外務省入省、86年 外務省経済局、88年在グアテマラ・イタリア大使館経済・商務担当書記官、92年在中国イタリア大使館一等書記官、95年イタリア外務省経済局、イタリア農業政策大臣外交顧問参事官、99年在ニューヨーク国際連合イタリア政府代表部一等参事官、02年在インド・イタリア大使館一等参事官、06年イタリア農業政策大臣外交顧問、08年全権公使、10年在アラブ首長国連邦・イタリア大使、14年国際再生可能エネルギー機関(IRENA)イタリア政府代表兼任、15年イタリア外務省政務・安全保障総局、イタリア外務・国際協力大臣リビア担当特使、17年駐日イタリア大使、16年イタリア共和国功労勲章(OMRI)コンメンダトーレ章受勲。