遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

大泉名水会

2021年04月01日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の生家である遠藤宗家本邸は、東京都練馬区東大泉に現存している。

緑を基調とした庭園を背景に優雅な佇まいを見せる遠藤宗家本邸は、遠藤家の住居兼社交場として遠藤寛 第十七代当主遠藤宗家と親交があった安田財閥創始者 安田善次郎の孫である建築設計士 安田紫気郎によって外装、内装がなされた。竣工は、1975年(昭和50年)8月。西洋風建築として、工事を施した。

安田財閥は富山県出身の安田善次郎が設立した財閥であり、日本の四大財閥の一つ。金融部門の絶対的な優位性を持つことから「金融財閥」とも呼ばれた。安田財閥の金融資本は他の財閥の追随を許さず、日本で最大の規模を誇っていた。

練馬区東大泉の歴史は明治時代(旧武蔵国豊島郡土支田村上組)と古く、1941年(昭和16年)市ヶ谷にあった陸軍予科士官学校が朝霞に移転したとき、その職員のための住宅がこの東大泉三丁目地区に碁盤の目状に整備され、そこに水を供給するために地域の水道事業団体「大泉名水会」が作られた。

かつてこの地区は、将校住宅と呼ばれていた。この水道施設は、陸軍予科士官学校住宅協会によって管理されていたが、戦後は大泉住宅共栄会・大泉共栄会水道部会による運営を経て、現在は大泉名水会が水道事業を運営している。1973年(昭和48年)東京都の水道が敷設されるよりも、30年余長い歴史を有してる。

陸軍士官学校は明治時代から市ヶ谷に組織されていたが、昭和の時代に入り初級将校を多く養成する必要性が生じ、本科が1937年(昭和12年)に座間(神奈川)へ、予科は1941年(昭和16年)10月に朝霞に移転した。陸軍士官になるには予科で約2年、その後の本科において約1年8ヶ月の教育訓練を受けなけなければいけなかった。修学後、部隊での見習士官を経て少尉に任官するという制度であった。

一方、航空要員は予科修了後、入間の陸軍航空士官学校へと進んだ。朝霞では終戦の1945年(昭和20年)8月迄、57期生から61期生の合わせて19.147名の学生が学んだ。振武臺記念館では、当時の貴重な資料や所縁の品等を展示、古墳時代以来の朝霞の歴史と合わせて紹介している。

『振武臺』という名前の由来は、1943年(昭和18年)12月9日 昭和天皇が同校に行幸された際、学生達に対し「将来益々武を振るえ」という思いからお名付けになられた学校の別称である。また本記念館の建物は、陸軍士官学校(本科)にあった「皇族舎」を1978年(昭和53年)隊員の手によって座間から移築した歴史的建造物である。

「皇族舎」は皇族男子が、陸軍士官學校や海軍兵學校で将校教育を受ける際に用意された特別の宿舎であり、本皇族舎は東久邇宮殿下(54期生)や賀陽宮殿下(55期生)が使用されたと記録に残っている。

※画像:朝霞の皇族舎(現振武台記念館)


◆ 大泉名水会事務所 概要
本 所 東京都練馬区東大泉
設 立 1941年
水 源 地下125メートル(2号井戸)、232メートル(3号井戸)