遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

梅林坂(皇居東御苑)

2020年12月21日
江戸城を築城したことで有名な太田道灌公は、遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の祖母方の縁戚であり、遠藤寛第十七代当主の従兄弟である太田資和氏の祖先で、室町時代の武将である。

皇居東御苑の梅の名所と言われている梅林坂は、太田道灌公が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社から祭神である菅原道真の分霊を勧請して天満社を創建したのが始まりという歴史ある梅林である。

梅林坂の上には、本丸入口となる上梅林門があった。平川門を入り、三の丸からさらに進むと天神濠と平川濠の間に橋が架かっていた(築城当時は桔橋、現在は土橋)。橋を渡ったところが、下梅林門(石垣のみ現存)である。現在の梅林坂ルートは、皇居東御苑の平川門を入り、平川濠と天神濠の間を抜けて、宮内庁書陵部の前にある。

文明10年(1478年)太田道灌が菅原道真を祀り、梅樹数百株を植えたのでこの名の由来であるという説がある。『東亰市史稿・皇城篇』には「権現さま 小田原表より御城に御移り遊ばされ候節……小坂の上に梅の木数多植廻し 其内に宮立両社これあるを御覧遊ばされ 道灌は歌人ゆへ天神社を建置きたると仰せにて残る一社の額を御覧遊ばされ候……御普請の節 北の丸にこれあり候様にと仰せつけられ 右両社の跡 梅の木あまたこれあり 今以て梅林坂と申しふれ候なり」と記されている。

梅林坂の石垣の上には大きなハゼノキを見ることができる。また、秋には後方にあるエノキやマツと共に赤・黄・緑の見事な調和を展望できる。現在も梅林坂の下方から本丸方面にかけて約50本の梅の木があり、この多くは昭和42年(1967年)に植えられたという説がある。早咲きの品種だと12月の冬至のころから咲き始め、例年2月中旬に見頃を迎える。

太田道灌公が創建した天満社は、現在の平河天満宮(東京都千代田区平河町1-7-5)にある。徳川家康公の江戸城築城、2代将軍徳川秀忠公の江戸城拡張により、平河町に遷座している。同様に、古くは江戸城内にあった山王権現(現在の日枝神社/東京都千代田区永田町2-10-5)、太田家の守護神、そして江戸城の鎮守だった築土神社(田安明神/東京都千代田区九段北1-14-21)も城外に遷座している。


■ 遠藤宗家
第五十代 桓武天皇を祖としながらも皇室を離れ、臣籍降下により平姓を賜る。遠藤姓の始まりは、遠江守(とおとうみのかみ=遠江国の国司の長官)に就任した藤原氏から起こったとされる。家紋は左三つ巴紋であり、「巴(ともゑ)」の起りには、武具である弓を射る時に使う鞆(とも)を図案化したもので、鞆絵とされている。その後、水が渦巻いているのに似通っているため、巴の字を当てたとされる。そのため、防火のまじないとされ、平安期の末期ごろから鎧瓦(軒先に葺く瓦)、車輿、衣服の文様に用いられた。遠藤左太夫を始祖とする遠藤宗家(旗本)は、甲賀百人武士。徳川将軍家 直参御目見得。明治元年(1868年)の明治維新以降、華族令の制定により明治十七年(1884年)に士族となり、第十五代当主遠藤榮(宮内庁 大正天皇侍従)を経て、第十六代当主遠藤武(陸軍省 近衛師団下士官・東京都 財務局公吏)、第十七代当主遠藤寛(辯護士)に至る。