遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

中野沼袋氷川神社

2020年09月03日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の縁戚である中世の江戸氏の居館跡に江戸城をに築城した太田道灌公は、文明9年(1477年)4月豊島一族と合戦(江古田・沼袋原の戦い)をした際、中野沼袋氷川神社に本陣を布き、戦勝を祈願して社頭に杉一本(道灌杉)を献植した。

江古田原・沼袋の戦いとは、戦国時代初期の文明9年(1477年)武蔵国多摩郡の江古田原および沼袋(現在の東京都中野区江古田・沼袋付近)にて、太田道灌公と豊島泰経との間で行われた。長尾景春の乱における、局地戦の一つである。

中野沼袋氷川神社の御祭神は、八岐大蛇退治の神話に出てくる主人公の須佐之男命である。南北朝時代、人皇97代後村上天皇の正平元年(光明天皇の貞和二年)に、武蔵国一の宮である大宮(現在の埼玉県さいたま市)鎮座氷川大社より御分霊を戴いて、同地に奉祀したのに始まると伝えられている。


■ 太田道灌
栗原鉚三(石神井村村長)と妻セイ(貞明皇后女官)の子である長女孝子は、太田道灌公の子孫太田資英当主夫人。三女里子は、遠藤武遠藤宗家第十五代当主夫人。太田道灌公は、室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長。太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍。江戸城を築城したことで有名である。官位:正五位下備中守、墓所:神奈川県伊勢原市大慈寺・神奈川県伊勢原市洞昌院、 戒名:大慈寺殿心円道灌大居士・香月院殿春苑静勝道灌大居士。