遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

練馬城址公園(豊島園)

2020年08月10日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の縁戚である中世の江戸氏の居館跡に江戸城を1457年(長禄元年)に築城した太田道灌公は、かつて豊島氏一族である景村が築城した石神井城と練馬城を落城した。

東京23区の北部は、平安時代末期から室町時代にかけて豊島氏の支配によって築城された練馬城があった。太田道灌公との戦いに敗れ廃城となった跡地に再び城が築かれることも無く、雑木林や畑作地となった。

その後、増田藤助上練馬村長が同地を所有し、1916年(大正6年) 樺太工業(現王子製紙・三井グループ)の藤田好三郎専務が、運動と園芸を奨励する遊園地として公開したのが豊島園の始まりだった。設立趣意書によると、開園当時の名称は「練馬城址 豊島園」で「この地はその昔豊島左近大夫景村の居城で園の命名もその縁故にちなんだもの」と記している。

1926年(大正15年)に開園し、2020年(令和2年)8月31日に閉園する遊園地の「としまえん(豊島園)」(東京都練馬区向山三丁目)は、西武ホールディングス(HD)のグループである株式会社豊島園が運営する遊園地である。

昭和初期の豊島園は約5万坪の敷地に運動場や野球場、プールなどを備え、園内を流れる石神井川ではボートや釣りが楽しめる総合公園的な施設だった。1936年(昭和11年)に喜劇俳優の榎本健一(エノケン)や古川緑波(ロッパ)らが映画のロケをする写真も残っている。

戦後は遊園地として発展し、若い人向けに「絶叫マシン」を次々と導入した。約40人乗りの座席が回転する「トップスピン」、丸太をかたどった車両が急上昇と急降下を繰りすローラーコースターの「サイクロン」などには長い列ができた。バブル期の入場者数は約400万人を記録したが、レジャーの多様化や少子化などで現在は約100万人となっている。それに伴い、最近は若年層だけでなく、ファミリー層の集客に力を入れていた。

閉園後は、都市計画練馬城址公園の整備に関する覚書を締結した東京都、練馬区、西武鉄道、ワーナーブラザーズジャパン、伊藤忠商事の5者が、緑と水、広域防災拠点、にぎわいの3つの機能を備えた公園の実現を目標に相互に連携、協力して整備と利用を進める。園内の一部では、23年春にワーナー・ブラザースによる「ハリーポッターシリーズ」のスタジオツアー施設の設置を検討しており、覚書には施設の設置期間を30年間とすることなどが盛り込まれた。


■ 太田道灌
栗原鉚三(石神井村村長)と妻セイ(貞明皇后女官)の子である長女孝子は、太田道灌公の子孫太田資英当主夫人。三女里子は、遠藤武遠藤宗家第十五代当主夫人。太田道灌公は、室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長。太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍。江戸城を築城したことで有名である。官位:正五位下備中守、墓所:神奈川県伊勢原市大慈寺・神奈川県伊勢原市洞昌院、 戒名:大慈寺殿心円道灌大居士・香月院殿春苑静勝道灌大居士。