遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

甲賀稲荷神社

2018年11月08日
徳川幕府が江戸に開かれ、遠藤宗家甲賀百人組も江戸に移住した。江戸においては、甲賀組は青山の組屋敷を拝領する。現在の千駄ヶ谷にある国立競技場(昭和三十九年に開催されたオリンピックのメイン会場)の周辺に位置している。

その他に甲賀組は、青山権田原にも幕府から鉄砲演習場を拝領した。その際、甲賀稲荷神社を建立し、明治十八年(1885年)、青山練兵場(現在の外苑)設置のために鳩森八幡神社に遷座、合祀された。

昭和初期に神主であられた矢嶋宮司の著作『鳩森八幡略縁起』によると、この鳩森神社も甲賀百人組と縁のある神社で、昭和十三年(1938年)五月に神社の前に安置した神像の中から、『御修覆記』並びに『奉納、甲賀百人姓名書』が発見された。

この文書は、弘化四年(1847年)のもので甲賀百人組が米と金を寄進したという記事が伝えられている。その中に【御納戸同心 遠藤左太夫】と記されており、明治時代に高徳寺檀家総代、甲賀稲荷神社氏子大惣代を務めた遠藤宗家 第十五代当主 遠藤榮の祖父である、遠藤宗家 第十三代当主にあたる。


■ 遠藤宗家
第五十代 桓武天皇を祖としながらも皇室を離れ、臣籍降下により平姓を賜る。遠藤姓の始まりは、遠江守(とおとうみのかみ=遠江国の国司の長官)に就任した藤原氏から起こったとされる。家紋は左三つ巴紋であり、「巴(ともゑ)」の起りには、武具である弓を射る時に使う鞆(とも)を図案化したもので、鞆絵とされている。その後、水が渦巻いているのに似通っているため、巴の字を当てたとされる。そのため、防火のまじないとされ、平安期の末期ごろから鎧瓦(軒先に葺く瓦)、車輿、衣服の文様に用いられた。遠藤左太夫を始祖とする遠藤宗家(旗本)は、甲賀百人武士。徳川将軍家 直参御目見得。明治元年(1868年)の明治維新以降、華族令の制定により明治十七年(1884年)に士族となり、十五代当主遠藤榮(大正天皇 宮内庁 東宮侍従)を経、現在、十七代当主寛(弁護士)に至る。