トップページ
プロフィール
基本理念
活動報告
資料
お問い合わせ
トップページ
>
遠藤潔の活動報告
2025年度
2024年度
2023年度
2022年度
2021年度
2020年度
2019年度
2018年度
2017年度
2016年度
遠藤 潔
遠藤潔の活動報告
ガーデンコートクラブ
2018年10月19日
ニューオータニ・ガーデンコートは、ホテルニューオータニのホテル館「ザ・メイン」から赤坂・永田町方面へ並ぶ高層ビル群の一つで、ホテル館に隣接するニューオータニ・ガーデンタワーに続いて立っている。
29・30Fは、法人会員制のガーデンコートクラブがあり、赤坂界隈や国会議事堂など、東京を代表する東京タワー、東京スカイツリーなどが一望できる。この紀尾井町の敷地は、旧伏見宮邸跡地や大名屋敷跡地にあたる。江戸城の外堀に囲まれた約4万㎡の広大な日本庭園は加藤清正公の下屋敷や彦根藩井伊家屋敷跡の庭園として400年あまりの歴史がある由緒ある庭園である。
ホテルニューオータニの歴史は、1963年(昭和38年)に大谷米太郎が大谷国際観光株式会社として創業した。東京オリンピックのあった1964年に国際ホテルとして「ホテルニューオータニ」が開業する。帝国ホテル、ホテルオークラとともに、ホテルの「御三家」と称される。
東急グループがヒルトンホテルと提携して東京ヒルトンホテルを開設しようとした際に最初に候補となった土地を活用して、オーナーの大谷米太郎が開設したのが、現在同チェーンの中心となる、紀尾井町の「ホテルニューオータニ」である。当初、ホテルの名前は「オータニ・シェラトン・ホテル」となる予定で開業前の従業員募集の広告などは「オータニ・シェラトン・ホテル」となっている 。
同ホテルは、森村誠一の小説で映画化もされた「人間の証明」の舞台となったことでも知られる。最上部の「回る展望台レストラン」のシルエットが物語の重要な鍵になっている。また、スパイ映画「007は二度死ぬ」(1967年)では、悪役組織の日本の本拠「大里化学」の本社ビルとして登場した。また、創業者の大谷米太郎が力士出身だったため、大相撲関係者の結婚式などのイベントにも使用される。
一時期、最上階の回転レストランの回転を停止しようとの声が内部から上がったが、利用者からの反対により撤回された。なお、この回転技術は、戦艦大和の主砲の回転技術を考案した技術者により実現した。
■ ニューオータニガーデンコート
所在地:東京都千代田区紀尾井町4-1、竣工:1991年1月31日。
29・30Fは、法人会員制のガーデンコートクラブがあり、赤坂界隈や国会議事堂など、東京を代表する東京タワー、東京スカイツリーなどが一望できる。この紀尾井町の敷地は、旧伏見宮邸跡地や大名屋敷跡地にあたる。江戸城の外堀に囲まれた約4万㎡の広大な日本庭園は加藤清正公の下屋敷や彦根藩井伊家屋敷跡の庭園として400年あまりの歴史がある由緒ある庭園である。
ホテルニューオータニの歴史は、1963年(昭和38年)に大谷米太郎が大谷国際観光株式会社として創業した。東京オリンピックのあった1964年に国際ホテルとして「ホテルニューオータニ」が開業する。帝国ホテル、ホテルオークラとともに、ホテルの「御三家」と称される。
東急グループがヒルトンホテルと提携して東京ヒルトンホテルを開設しようとした際に最初に候補となった土地を活用して、オーナーの大谷米太郎が開設したのが、現在同チェーンの中心となる、紀尾井町の「ホテルニューオータニ」である。当初、ホテルの名前は「オータニ・シェラトン・ホテル」となる予定で開業前の従業員募集の広告などは「オータニ・シェラトン・ホテル」となっている 。
同ホテルは、森村誠一の小説で映画化もされた「人間の証明」の舞台となったことでも知られる。最上部の「回る展望台レストラン」のシルエットが物語の重要な鍵になっている。また、スパイ映画「007は二度死ぬ」(1967年)では、悪役組織の日本の本拠「大里化学」の本社ビルとして登場した。また、創業者の大谷米太郎が力士出身だったため、大相撲関係者の結婚式などのイベントにも使用される。
一時期、最上階の回転レストランの回転を停止しようとの声が内部から上がったが、利用者からの反対により撤回された。なお、この回転技術は、戦艦大和の主砲の回転技術を考案した技術者により実現した。
■ ニューオータニガーデンコート
所在地:東京都千代田区紀尾井町4-1、竣工:1991年1月31日。