遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

栗原家文書

2018年03月19日
遠藤 潔 遠藤宗家第十八代の親戚である栗原秀雄 栗原家当主は、代々旧上石神井村の名主を務めた旧家で、かつては石神井城や石神井風致地区などをふくむ広大な土地を所有していた。そのことから、遠藤宗家第十八代 遠藤 潔の曽祖父である栗原鉚三 栗原家当主が石神井村村長等を歴任し、現在の練馬区の基礎を構築した。

栗原家文書は、栗原家に伝わっていた文書類である。現在、公益財団法人練馬区文化振興協会のふるさと文化館(石神井町5丁目12番16号)の所蔵品として保管されている。

栗原文書は、天保2年(1831年)の「議定一札之事(板橋宿代助郷御免除相願度ニ付)」から昭和8年(1933年)の「石神井案内」まで52点が現存している。江戸時代の文書は、天保期(1830~1844年)の助郷や慶応4年(1868年)の信忠隊三宝寺江止宿諸入用覚帳」など旧幕府諸隊に関わるものが残っている。

近代の文書では、明治41年(1908年)の「御願(豊島氏貴重品池中探索ニ付)」、昭和6年(1931年)の「東京府立公園設置願」など石神井村に関するものが伝わっている。また、江戸時代の上石神井村絵図面や地租改正事業に伴い作成されたと考えられる明治初期の上石神井村地引絵図などの絵図、地図も多く残されている。江戸後期以降の上石神井村・石神井村の様相を伝える文書類が残り、地域の歴史を知ることができる。


■ 栗原鉚三
旧上石神井村の名主。三宝寺檀家総代。
石神井村村長 1916年~1932年(大正5年11月21日~昭和7年9月30日)
1872年(明治4年)東京府へ編入。新宿口第22区(谷原・田中)、第18区(石神井・関)に属す。1873年(明治6年)朱引外大小区改正により東京府第8大区7小区(谷原・田中)、8小区(石神井・関)にそれぞれ改称。1878年(明治11年)郡区町村編制法施行により東京府北豊島郡の所属となり、谷原村・田中村、下石神井村、上石神井村・竹下新田・関村の3つの戸長役場が定められた。1889年(明治22年)町村制施行に伴う合併(明治の大合併)上石神井村、下石神井村、谷原村、田中村(田中新田を含む)、関村の5村に加えて上土支田村を合併し東京府北豊島郡石神井村となる。(各村は大字となる)1891年(明治24年)大字上土支田を分離。石神井村大字上土支田は大泉村大字上土支田となる。1932年(昭和7年)板橋区成立。東京市が隣接5郡(豊多摩郡・北豊島郡・荏原郡・南足立郡・南葛飾郡)82町村を編入。練馬地区には練馬派出所と石神井派出所が設置。後に、練馬派出所は練馬支所、石神井派出所は石神井出張所へと昇格。石神井村は7町に分立し、石神井谷原町(旧:谷原村、現:谷原、高野台、富士見台)、石神井北田中町(旧:田中新田、現:三原台)、石神井南田中町(旧:田中村の田中新田を除く、現:南田中)、上石神井町(旧:上石神井村、現:上石神井、石神井台)、下石神井町(旧:下石神井村、現:下石神井、石神井町、上石神井南町)、石神井関町(旧:関村、竹下新田、現:関町北、関町南、関町東)、石神井立野町(旧:上石神井村立野の飛地、現:立野町)、1943年(昭和18年)東京都制が施行。旧石神井村は東京都板橋区に属す。1947年(昭和22年)練馬区独立。

石神井郵便局局長 1992年(大正11年)
1922年(大正11年)請願による3等郵便局として開局。(下石神井1315番地・現在の石神井町3丁目20番)1924年(大正13年)集配業務を開始。1927年(昭和2年)電話通話事務を開始。1927年(昭和2年)電信事務を開始。1927年(昭和2年)電話交換業務を開始。1937年(昭和12年)2等局に昇格。等級制は昭和16年勅令第95号(1941年2月1日施行)により廃止。1947年(昭和22年)下石神井2丁目1217番地(現・石神井町6丁目1番)に電話分室を設置。1949年(昭和24年)郵政省・電気通信省発足により電信電話事務を分離。1951年(昭和26年)下石神井2丁目1301番地(現・石神井公園駅前郵便局)に移転。1956年(昭和31年)電話通話事務の取扱を開始。1957年(昭和32年)和文電報受付事務の取扱を開始。1960年(昭和35年)下石神井2丁目1365番地(現・石神井町2丁目8番)に分室を設置(郵便業務)。1964年(昭和39年)現在地に新築移転。1999年(平成11年)外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始。2007年(平成19年)民営化に伴い、併設された郵便事業石神井支店に一部業務を移管。2012年(平成24年)日本郵便株式会社の発足に伴い、郵便事業石神井支店を石神井郵便局に統合。2016年(平成28年)ゆうゆう窓口の24時間営業を廃止。