遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

国会議事堂

2017年11月30日
日本に議会が開設された明治23年(1890年)から現在の議事堂が完成するまでの46年間、第1回帝国議会から第69回帝国議会までは、木造の仮議事堂を使用していた。

明治14年(1881年)10月12日、明治天皇から「明治23年を期し議員を召し国会を開く」旨の国会開設の勅諭が発せられた。そこで、明治19年(1886年)2月、内閣に臨時建築局が設けられ、議事堂建築にあたることとなる。不平等条約の改正に取り組む政府は、外交上の政略等もあり、外国の技術者を招聘することにし、ドイツから建築家を招聘した。

我が国からも技師をドイツに派遣するなど準備に着手し、明治20年(1887年)4月の閣議において議事堂建築予定地を麹町区(現在の千代田区)永田町1丁目に決定した。ドイツ人建築家により議事堂の設計(エンデ及びベックマンによる案)がなされ、中央諸官庁の集中建築計画が立てられるも、計画に従えば多大の経費を要すること、議事堂のような大建築物を造り上げるには帝国議会の開設があまりにも切迫していたことから、議事堂の本建築は中止され、麹町区内幸町2丁目(現在の千代田区霞ヶ関1丁目経済産業省の区画)に仮議事堂を建築することになった。仮議事堂は、2度火災で焼失したため、都合3回にわたって建築された。

現在の議事堂の意匠設計は一般から募集された。大正7年(1918年)、大蔵省に臨時議院建築局が設置され、議事堂建築の基本計画が作成された。議院建築調査会で同年決議された要綱に準拠したものである。その要綱は、建築敷地、所要室数及びその面積、建物階数、建築費及び工事年限などの事項にわたる。設計の方法については、「意匠設計ハ充分愼密ノ用意アルヲ要スルカ故ニ其ノ考按ヲ汎ク国内ニ求メ、成ルヘク多数ノ設計図案ヲ蒐メ其ノ優秀ナルモノヲ簡抜シテ之ヲ実行シ、又ハ参考ニ供シ以テ全施設ノ上ニ遺算ナキヲ期セサルヘカラス、是レ設計図案ヲ一般懸賞競技ノ方法ニ依リ募集セントスル所以ナリ」とされた。
 
募集規程は、大正7年9月16日に官報広告された。設計にあたり、本館は3層、建坪3600坪内外、東方を正面、やむを得ないものを除き国産を用いること、建物の左翼が貴族院・右翼が衆議院などの条件が付され、建築の様式は随意ながら「議院トシテ相当ノ偉容ヲ保タシムルコトヲ要ス」とされた。また、参考として間取略図が付けられた。募集は2次にわたり、第1次募集は大正8年(1919年)2月、その当選者による第2次募集は同年9月を期限とした。


■ 国会議事堂
東京都千代田区永田町一丁目にある。建物は左右対称形を成しており、正面に向かって左側に衆議院、右側に参議院が配置されている。