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遠藤 潔
遠藤潔の活動報告
栗原鉚三 石神井村村長に関する北豊島郡石神井村の自治史的考察
2026年07月18日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の曽祖父である栗原鉚三石神井村村長(現練馬区)は、大正五年(1916年)から昭和七年(1932年)まで北豊島郡石神井村の村長を務めた有力地主であり、近代における同地域のインフラ整備、通信網の創設、風致保全の基盤を築いた極めて重要な地方政治家である。
【 交通インフラの誘致と近代化への寄与 】
•大正四年(1915年)の武蔵野鉄道(現・西武池袋線)石神井駅(現・石神井公園駅)開通に際し、地域発展の契機として約5,000坪に及ぶ広大な自己所有地を寄付した。
•大正九年(1920年)5月に鉄道開通による地域交通の利便化と喜びを後世に伝えるため、「石神井火車站之碑」の建立を主唱者の一人として主導した。
•同碑の背面に名を刻まれており、当時の有力者である豊田利右衛門や書家の滑川達らとともに地域開発の象徴的モニュメントを構築した。
【 通信インフラの創設と制度的発展 】
•大正十一年(1922年)に政府への請願を通じて三等郵便局である「石神井郵便局」を創設し、自ら初代局長に就任した。
•大正十三年(1924年)以降、同局における集配業務の開始や電信・電話交換業務の導入を順次進め、近代的な地域通信ネットワークの確立を牽引した。
【 都市計画と観光・風致地区の形成 】
•三宝寺池周辺の道路や遊歩道を整備し、人工滝や遊園施設を設置するなど、近郊行楽地としての空間デザインを試みた。
•大正七年(1918年)に池畔の土地を提供し、日本最初期の100メートルプールとされる「東京府営石神井水泳場」の開場を実現させ、近郊スポーツ文化の発展に寄与した。
•昭和六年(1931年)に三宝寺池周辺の自然環境を後世に残すべく、東京府立公園への指定を求める請願書を東京府知事へ提出し、のちの「石神井公園」開園や風致地区指定への法的・行政的な布石を打った。
•昭和九年(1934年)に自己が所有する水田に三宝寺池の湧水を引く形で「石神井池(ボート池)」を人工的に造成し、現代に至る景観形成の決定的な要因を作った。
【 歴史的背景と関連史料:栗原家文書 】
•名主・役番を歴任した旧家・栗原家の系譜を引く地主であり、その活動を裏付ける重要な一次史料として、練馬区が所蔵・管理する「栗原家文書」が存在する。
•同文書に遺された地方自治・土地開発・請願関係の記録を通じて、近代の東京近郊農村が都市化していくプロセスを実証する歴史的体現者として位置づけられる。
■ 栗原鉚三
旧上石神井村の名主。三宝寺檀家総代。
石神井村村長。
1916年~1932年(大正5年11月21日~昭和7年9月30日)1872年(明治4年)東京府へ編入。新宿口第22区(谷原・田中)、第18区(石神井・関)に属す。1873年(明治6年)朱引外大小区改正により東京府第8大区7小区(谷原・田中)、8小区(石神井・関)にそれぞれ改称。1878年(明治11年)郡区町村編制法施行により東京府北豊島郡の所属となり、谷原村・田中村、下石神井村、上石神井村・竹下新田・関村の3つの戸長役場が定められた。1889年(明治22年)町村制施行に伴う合併(明治の大合併)上石神井村、下石神井村、谷原村、田中村(田中新田を含む)、関村の5村に加えて上土支田村を合併し東京府北豊島郡石神井村となる。(各村は大字となる)1891年(明治24年)大字上土支田を分離。石神井村大字上土支田は大泉村大字上土支田となる。1932年(昭和7年)板橋区成立。東京市が隣接5郡(豊多摩郡・北豊島郡・荏原郡・南足立郡・南葛飾郡)82町村を編入。練馬地区には練馬派出所と石神井派出所が設置。後に、練馬派出所は練馬支所、石神井派出所は石神井出張所へと昇格。石神井村は7町に分立し、石神井谷原町(旧:谷原村、現:谷原、高野台、富士見台)、石神井北田中町(旧:田中新田、現:三原台)、石神井南田中町(旧:田中村の田中新田を除く、現:南田中)、上石神井町(旧:上石神井村、現:上石神井、石神井台)、下石神井町(旧:下石神井村、現:下石神井、石神井町、上石神井南町)、石神井関町(旧:関村、竹下新田、現:関町北、関町南、関町東)、石神井立野町(旧:上石神井村立野の飛地、現:立野町)、1943年(昭和18年)東京都制が施行。旧石神井村は東京都板橋区に属す。1947年(昭和22年)練馬区独立。
石神井郵便局局長。
1992年(大正11年)1922年(大正11年)請願による3等郵便局として開局。(下石神井1315番地・現在の石神井町3丁目20番)1924年(大正13年)集配業務を開始。1927年(昭和2年)電話通話事務を開始。1927年(昭和2年)電信事務を開始。1927年(昭和2年)電話交換業務を開始。1937年(昭和12年)2等局に昇格。等級制は昭和16年勅令第95号(1941年2月1日施行)により廃止。1947年(昭和22年)下石神井2丁目1217番地(現・石神井町6丁目1番)に電話分室を設置。1949年(昭和24年)郵政省・電気通信省発足により電信電話事務を分離。1951年(昭和26年)下石神井2丁目1301番地(現・石神井公園駅前郵便局)に移転。1956年(昭和31年)電話通話事務の取扱を開始。1957年(昭和32年)和文電報受付事務の取扱を開始。1960年(昭和35年)下石神井2丁目1365番地(現・石神井町2丁目8番)に分室を設置(郵便業務)。1964年(昭和39年)現在地に新築移転。1999年(平成11年)外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始。2007年(平成19年)民営化に伴い、併設された郵便事業石神井支店に一部業務を移管。2012年(平成24年)日本郵便株式会社の発足に伴い、郵便事業石神井支店を石神井郵便局に統合。2016年(平成28年)ゆうゆう窓口の24時間営業を廃止。
【 交通インフラの誘致と近代化への寄与 】
•大正四年(1915年)の武蔵野鉄道(現・西武池袋線)石神井駅(現・石神井公園駅)開通に際し、地域発展の契機として約5,000坪に及ぶ広大な自己所有地を寄付した。
•大正九年(1920年)5月に鉄道開通による地域交通の利便化と喜びを後世に伝えるため、「石神井火車站之碑」の建立を主唱者の一人として主導した。
•同碑の背面に名を刻まれており、当時の有力者である豊田利右衛門や書家の滑川達らとともに地域開発の象徴的モニュメントを構築した。
【 通信インフラの創設と制度的発展 】
•大正十一年(1922年)に政府への請願を通じて三等郵便局である「石神井郵便局」を創設し、自ら初代局長に就任した。
•大正十三年(1924年)以降、同局における集配業務の開始や電信・電話交換業務の導入を順次進め、近代的な地域通信ネットワークの確立を牽引した。
【 都市計画と観光・風致地区の形成 】
•三宝寺池周辺の道路や遊歩道を整備し、人工滝や遊園施設を設置するなど、近郊行楽地としての空間デザインを試みた。
•大正七年(1918年)に池畔の土地を提供し、日本最初期の100メートルプールとされる「東京府営石神井水泳場」の開場を実現させ、近郊スポーツ文化の発展に寄与した。
•昭和六年(1931年)に三宝寺池周辺の自然環境を後世に残すべく、東京府立公園への指定を求める請願書を東京府知事へ提出し、のちの「石神井公園」開園や風致地区指定への法的・行政的な布石を打った。
•昭和九年(1934年)に自己が所有する水田に三宝寺池の湧水を引く形で「石神井池(ボート池)」を人工的に造成し、現代に至る景観形成の決定的な要因を作った。
【 歴史的背景と関連史料:栗原家文書 】
•名主・役番を歴任した旧家・栗原家の系譜を引く地主であり、その活動を裏付ける重要な一次史料として、練馬区が所蔵・管理する「栗原家文書」が存在する。
•同文書に遺された地方自治・土地開発・請願関係の記録を通じて、近代の東京近郊農村が都市化していくプロセスを実証する歴史的体現者として位置づけられる。
■ 栗原鉚三
旧上石神井村の名主。三宝寺檀家総代。
石神井村村長。
1916年~1932年(大正5年11月21日~昭和7年9月30日)1872年(明治4年)東京府へ編入。新宿口第22区(谷原・田中)、第18区(石神井・関)に属す。1873年(明治6年)朱引外大小区改正により東京府第8大区7小区(谷原・田中)、8小区(石神井・関)にそれぞれ改称。1878年(明治11年)郡区町村編制法施行により東京府北豊島郡の所属となり、谷原村・田中村、下石神井村、上石神井村・竹下新田・関村の3つの戸長役場が定められた。1889年(明治22年)町村制施行に伴う合併(明治の大合併)上石神井村、下石神井村、谷原村、田中村(田中新田を含む)、関村の5村に加えて上土支田村を合併し東京府北豊島郡石神井村となる。(各村は大字となる)1891年(明治24年)大字上土支田を分離。石神井村大字上土支田は大泉村大字上土支田となる。1932年(昭和7年)板橋区成立。東京市が隣接5郡(豊多摩郡・北豊島郡・荏原郡・南足立郡・南葛飾郡)82町村を編入。練馬地区には練馬派出所と石神井派出所が設置。後に、練馬派出所は練馬支所、石神井派出所は石神井出張所へと昇格。石神井村は7町に分立し、石神井谷原町(旧:谷原村、現:谷原、高野台、富士見台)、石神井北田中町(旧:田中新田、現:三原台)、石神井南田中町(旧:田中村の田中新田を除く、現:南田中)、上石神井町(旧:上石神井村、現:上石神井、石神井台)、下石神井町(旧:下石神井村、現:下石神井、石神井町、上石神井南町)、石神井関町(旧:関村、竹下新田、現:関町北、関町南、関町東)、石神井立野町(旧:上石神井村立野の飛地、現:立野町)、1943年(昭和18年)東京都制が施行。旧石神井村は東京都板橋区に属す。1947年(昭和22年)練馬区独立。
石神井郵便局局長。
1992年(大正11年)1922年(大正11年)請願による3等郵便局として開局。(下石神井1315番地・現在の石神井町3丁目20番)1924年(大正13年)集配業務を開始。1927年(昭和2年)電話通話事務を開始。1927年(昭和2年)電信事務を開始。1927年(昭和2年)電話交換業務を開始。1937年(昭和12年)2等局に昇格。等級制は昭和16年勅令第95号(1941年2月1日施行)により廃止。1947年(昭和22年)下石神井2丁目1217番地(現・石神井町6丁目1番)に電話分室を設置。1949年(昭和24年)郵政省・電気通信省発足により電信電話事務を分離。1951年(昭和26年)下石神井2丁目1301番地(現・石神井公園駅前郵便局)に移転。1956年(昭和31年)電話通話事務の取扱を開始。1957年(昭和32年)和文電報受付事務の取扱を開始。1960年(昭和35年)下石神井2丁目1365番地(現・石神井町2丁目8番)に分室を設置(郵便業務)。1964年(昭和39年)現在地に新築移転。1999年(平成11年)外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始。2007年(平成19年)民営化に伴い、併設された郵便事業石神井支店に一部業務を移管。2012年(平成24年)日本郵便株式会社の発足に伴い、郵便事業石神井支店を石神井郵便局に統合。2016年(平成28年)ゆうゆう窓口の24時間営業を廃止。