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遠藤潔の活動報告
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遠藤 潔
遠藤潔の活動報告
遠藤宗家通史
2026年06月04日
【 第1章 】起源と姓の創始(古代・中世)
・血統の源流(桓武天皇・平姓)
第五十代・桓武天皇を祖とする高貴な皇統より、臣籍降下に伴い平姓を賜る。
・甲賀武士の起源(推古天皇年間:六世紀末〜七世紀初頭)
聖徳太子に仕えた大伴細人公が志賀蜂子を討伐。その恩賞として近江国甲賀郡を拝領したのが最古の起源とされる(『甲賀古語伝記』)。
・血統の定礎(延暦年間:782年〜806年)
桓武天皇の皇統、および宇多源氏の末裔(佐々木氏一族)の流れを汲む土豪が近江国甲賀郡に定住。古代からの甲賀衆と血縁・地縁的に結びつき、血統の礎となる。
・「遠藤姓」の始まり(天慶三年:940年〜)
征東大将軍 藤原忠文公の孫である為方が「遠藤六郎大夫」を冒姓。これが遠藤姓の初源であり、同じ藤原北家の系譜を汲む「三井宗家」とも歴史的な由縁を有する。※遠江守(遠江国の国司長官)に就任した藤原氏の系譜から「遠藤」が起こったとされる。
・家紋「左三つ巴紋」の由緒
弓を射る武具「鞆(とも)」を図案化した「鞆絵(ともえ)」が起こり。形状が水の渦巻きに似ていることから「巴」の字が当てられ、防火のまじないとして平安時代末期頃から鎧瓦(軒先の瓦)や衣服の文様に広く用いられた。
・名門・栗原家の祖(平安時代中期〜)
藤原北家山陰流の末裔が武蔵国へ下向。のちに第十六代当主・遠藤武の妻・里子を輩出する栗原家の祖となる。
【 第2章 】戦国〜近世初期(江戸城築城と德川家への臣従)
・太田道灌公による武蔵国平定(長禄元年〜文明十八年:1457年〜1486年)
室町時代の名将・太田道灌公が江戸城を創築し、文明九年(1477年)に豊島氏の城(石神井城・練馬城)を落城させ武蔵国を平定(『太田道灌状』)。後世、第十七代当主・遠藤寛の従兄弟にあたる太田資和氏が、太田道灌公の直系子孫として繋がる。
・菩提寺「高徳寺」の建立(天正七年:1579年)
德川家康公の命により、甲賀組が崇敬していた浄土宗寺院を近江国甲賀郡から江戸(現・港区北青山)へ移転・建立。遠藤宗家らが「開基家」となる(『高徳寺縁起古文書』)。
・神君伊賀越え(天正十年:1582年)
本能寺の変の際、甲賀武士たちが德川家康公の道中警護と先導を担い生還を主導。德川将軍家と直臣としての強固な絆(主従関係)を構築(『德川実紀』)。
・江戸入府と青山領地の拝領(天正十八年〜天正十九年:1590年〜1591年)
德川家康公の関東入国に伴い、青山甲賀町の組屋敷、および青山権田原に鉄砲演習場(御鉄砲場:現・神宮球場一帯)を拝領し、「甲賀稲荷神社」を創設。将軍家重臣 青山忠成公の下屋敷と隣接・交差した広大な武家地は、旧町名「青山百人町」として栄えた。
【 第3章 】近世・江戸時代(德川将軍家直参旗本としての職責)
・伏見城の戦いと甲賀百人組の始動(慶長五年:1600年)
関ヶ原の戦いの前哨戦「伏見城の戦い」で、始祖・遠藤左太夫を含む甲賀衆第一陣が城代 鳥居元忠らと全員討死。左太夫の位牌は故郷の近江国甲賀郡「長福寺」に現存。德川家康公の命で将兵の血痕が残る床板が「血天井」として京都の養源院・宝泉院等へ伝来。戦後、山岡景友公が遺族らを糾合したことで「甲賀百人組」が公的に始まった。
・四組鉄砲方の特権と秘伝世襲(江戸幕府開府〜幕末)
幕府直轄火器部隊「四組(伊賀・甲賀・根来・二十五騎)」に所属。德川家康公より日本全国の山林・河川を自由に行き来できる「通行の特権免状(通行鑑札の不問特権)」を下賜された。高度な火薬調合技術(のちの『甲賀のくすり』の伝統)を世襲し、守護神「甲賀稲荷神社」を深く崇敬した。
・大坂の陣での大砲運用(慶長十九年〜慶長二十年:1614年〜1615年)
高度な化学・冶金技術を駆使し、世界最高峰の性能を誇る大砲(射程約五キロメートル)を自ら設計・製造して本丸への精密砲撃を敢行。大砲は戦前まで「靖国神社」に公式展示されていた。
・高徳寺の開山と格式(元和九年:1623年〜)
晃誉上人居的和尚により「寂照山唯心院高徳寺」が開山。将軍家が知恩院の直系末寺として、また増上寺学寮出身の僧侶を迎え、德川幕府の全面支援で諸堂が造営された(『寺社奉行録上』)。
・江戸城「百人番所」警衛と絶対的検問権(寛永二十年:1643年〜)
第三代将軍・德川家光公の治世より、江戸城本丸正面の最重要拠点「百人番所(本丸大手三之門)」の昼夜警衛を拝命(『寛政重修諸家譜』)。馬や駕籠を降りる結界「下乗」の直後にて二十四時間体制の厳格な検問を敷き、いかなる権臣であっても武器携行を許さない「絶対的検問権」を世襲行使した。德川将軍の御成(日光社参・鷹狩り等)では全隊列の最前線(露払い)を務めた。第三代将軍・德川家光公が石神井への鷹狩りの途中に休息されたことから、栗原家菩提寺・三宝寺の山門は「御成門」と呼ばれる旧跡となった。
・江戸名所「百人町の星燈籠」(正徳年間:1710年代〜)
第二代将軍・德川秀忠公の菩提を弔うため、青山百人町で各家々が盆灯籠を高い棹の先に掲げたのが始まり。第七代将軍・德川家継公が報奨金を下賜し、江戸の名所として定着(『東都歳時記』)。
【第4章】幕末・維新〜近代(軍制改革と宮廷奉仕への変遷)
・御納戸同心への補任と神社の修覆(弘化四年:1847年〜)
第十三代当主・遠藤左太夫(栄次郎)が、第十二代将軍・德川家慶公の身辺に仕える「御納戸同心」に配職。甲賀百人組の寄進により甲賀稲荷神社の社殿修覆を主導(奉納文書は昭和十三年に神像内部から発見)。
・大砲組への編入(文久二年:1662年)
文久の改革に伴い百人組が解体。第十四代当主・遠藤市次郎は講武所奉行傘下の大砲組へと編入され幕末の防衛体制に入った。(『文久軍制改革指令史料』)。
・明治維新と「士族」編入(慶応三年〜明治二年:1867年〜1869年)大政奉還、江戸城開城を経て、遠藤宗家は旧旗本家(德川将軍家直参御目見得の格式)として士族に編入される。華族令制定(明治十七年:1884年)にともない正式に士族籍となる。
・千駄ヶ谷への移遷と德川宗家との再隣接(明治十八年:1885年)
青山練兵場(現・明治神宮外苑)造営のため青山百人町が接収され、「千駄ヶ谷甲賀屋敷」へ移転。
甲賀稲荷神社も鳩森八幡神社境内へ遷座・合祀。同地へ德川宗家第十六代当主・德川家達侯爵が本邸を構えたことで、德川宗家邸、遠藤宗家屋敷、甲賀稲荷神社が再び至近距離に隣接する奇跡的な地縁が再興。
近代における実業交流や最高格式の宮廷奉仕へと直結する礎となった(『戸定邸畜産活動関係記述一覧』)。
・日光東照宮三百年祭奉斎会(大正二年〜大正四年:1913年〜1915年)
德川家康公没後三百年記念大祭事業を支援する団体が設立され、渋沢栄一翁が顧問・会長として大祭を主導。
・親戚・栗原村長による駅地権寄付(大正四年〜大正九年:1915年〜1920年)
遠藤宗家の親戚関係にある名士・栗原鉚三石神井村長らが、武蔵野鉄道石神井駅(現・西武池袋線 石神井公園駅)開業に際し、五千余坪の広大な敷地地権を寄付。大正九年(1920年)5月に「石神井火車站之碑」を境内に造立。
・第十五代当主・遠藤榮による大正天皇侍従奉仕(大正十二年頃〜昭和期)
宮内庁に出仕し、田安德川家第九代当主・德川達孝侍従長のもとで「大正天皇侍従職」を奉仕。
高徳寺檀家総代、千駄ヶ谷に遷座した甲賀稲荷神社の戦前氏子大惣代を務め、一族の信仰を護持(『宮内省職員録』)。
・遠藤やゑによる昭和天皇(東宮)への奉仕(大正期〜)
第十五代当主・遠藤榮の妻・やゑが、迪宮裕仁親王(のちの昭和天皇)の東宮女官職を拝命。高輪東宮御所等にて側近奉仕に精励(『宮内省東宮職奉仕記録』)。
・栗原鉚三石神井村長は、昭和九年(1934年)に私有水田を提供し「石神井池(ボート池)」を人工造成。
第三代将軍・德川家光公ゆかりの三宝寺の「根本大塔」再建に多大な財政的寄進を行った。
【第5章】激動の昭和〜現代(国難への直面と由緒の公的立証)
・第十六代当主・遠藤武の近衛師団奉仕と首都復興
大戦期、宮城(皇居)の直衛を担う最精鋭の陸軍近衛師団下士官に補任され「禁闕守護」を全う。天皇陛下の御乗り物たる鳳輦を警衛・供奉する「鳳輦供奉」の重任を果たす。戦後は東京都財務局公吏を歴任し首都復興に貢献。妻として旧石神井村長・栗原家当主の娘・里子を迎え、里子の母 栗原セイ(貞明皇后女官職)とともに宮廷奉仕の伝統を守った(『東京都職員録』)。
・東京大空襲と甲賀稲荷神社の焼失・合祀(昭和二十年:1945年)
昭和十八年(1943年)四月にゆかりの太田道灌公・德川家康公銅像(東京府庁舎前)が戦時供出。昭和二十年(1945年)三月の東京大空襲により、千駄ヶ谷・鳩森八幡神社境内の甲賀稲荷神社は社殿を焼失。
戦後は同神社本殿内にて八幡神宮、諏訪大神とともに合祀され、脈々と祀られ続けた。
・太田道灌公追慕之碑の建立(昭和十一年:1936年)
東京市の牛塚虎太郎市長により、江戸城虎ノ門の石垣の一部を利用して築かれ、「太田道灌公追慕之碑」が公式に建立された。
・神像内古文書の発見と由緒の公的証明(昭和十三年:1938年)
昭和十三年(1938年)5月、鳩森八幡神社の甲賀稲荷神社神像(随身像)内部から、弘化四年の『御修覆記』並びに『奉納、甲賀組百人姓名書』が奇跡的に発見(『鳩森八幡神社略縁起』)。古文書に「御納戸同心 遠藤左太夫」の名跡が鮮明に自署されており、第十三代当主の事績と直参旗本の由緒が公的に実証された。(『御岳新報』等に報道)
・甲賀稲荷神社「欅造り社殿」の復元再建(昭和四十五年:1970年)
氏子・崇敬者の熱意により、総欅(けやき)造りの新社殿が境内に完成。本殿より再び独自の社殿へと遷座され、甲賀百人武士の精忠の記憶と遠藤宗家が守り抜いた崇高な信仰が完全復興を遂げた。
【 第6章 】現代における社会的活動と顕彰(第十七代・第十八代)
・第十七代当主・遠藤寛の法槽界における軌跡と会津松平家顧問(昭和十一年:1936年〜現在)
弁護士(登録番号:9065号)および海事補佐人(登録番号:668号)として登録(『日本弁護士大観』)。第一東京弁護士会の人権擁護委員や消費者問題対策委員長などを歴任し、日弁連表彰を受賞。
陸奥会津藩主第十三代当主・松平保定公の直々のご指名により、親藩最高峰・会津藩主家の「会津松平家御家門法律顧問」に就任。遠藤宗家事務局の最高顧問として嫡流を支え続けている。
・第十八代の誕生と皇室との縁(昭和四十四年・昭和四十六年:1969年・1971年〜現在)
第十七代当主・遠藤寛の嫡流として、第一男子:第十八代・遠藤輝(昭和四十四年12月22日生)、第二男子:第十八代・遠藤潔(昭和四十六年7月17日生)がともに東京都港区南麻布の愛育病院にて生誕。同院は昭和天皇からの下賜金を原資に創立された名門であり(『母子愛育会創立公的沿革史』)、近代に続く皇室守護の歴史と深く交差している。
・遠藤宗家事務局の開設と武家文化の顕彰(平成十五年:2003年〜)
江戸開府四百年の節目に事務局およびオフィシャルサイトを開設。
・德川宗家第十九代当・ 德川家広様の指導・交流のもと、「柳営会」を通じた江戸文化・武家文化の顕彰、日光東照宮や大本山増上寺への公式参拝等を実施。
【 第7章 】現代における社会的活動と顕彰(第十八代)
・第十八代・遠藤潔による最高位の国家・公的顕彰と社会貢献
【人道・社会福祉貢献】
・日本赤十字社より「社長感謝状」「銀色有功章」「金色有功章(最高位)」を複数拝受(〜平成二十一年:2009年まで)。
・日本ユニセフ協会より「会長感謝状」、共同募金会より「会長感謝状・会長感謝盾」を受賞。
・法務大臣感謝状、厚生労働大臣感謝状、東京都知事感謝状、目黒区長感謝状をそれぞれ複数にわたり拝受。
・日本国天皇陛下よりの授与:多年にわたる公益への貢献から、天皇陛下より「紺綬褒章(褒状)」を授与(令和三年:2021年/令和四年:2022年)。さらに、持続的な公益貢献の証たる最高位の栄誉「飾版(銀飾版)」、および「木杯」を合わせて拝受(『官報』に採録)。
【皇室・伝統からの顕彰】
・高円宮妃久子殿下が名誉総裁を務められる日本水難救済協会より「名誉有功章」「名誉総裁感謝状」を受章(令和元年:2019年)。
・秋篠宮文仁親王妃紀子殿下が総裁を務められる結核予防会より「総裁感謝状」を拝受(平成二十八年:2016年)。
・德川家・浄土宗ゆかりの顕彰:德川家康公「四百年式年大祭」への貢献に対し「日光東照宮」宮司感謝状を拝受(平成二十七年:2015年)。
・重要文化財「三解脱門」等の大修理および浄土宗開宗八百五十年慶讃への功績から「大本山増上寺」法主感謝状を受賞(令和七年:2025年)。
※江戸期の「星燈籠」の由緒(第二代将軍 德川秀忠公・台徳院霊廟への弔い)が現代に正統評価された。
・「武士道」経営と地域への寄与:株式会社遠藤総合研究所を創設(平成二十三年:2011年〜)し、武士道精神(誠実・義理・社会的責任)をCSR活動の理念へと昇華。三井物産・三井物産グループに在職し、名門の精神を伝える。
・太田道灌公の十八代目子孫 太田資暁氏らと協働し「江戸城天守の木造復元再建」活動にも深く寄与。
【精神的伝統の定礎と「甲賀百人組区画」の永久保存】
・江戸における開基菩提寺であり、知恩院直系末寺たる「青山高徳寺」より生前授戒が執り行われ、最高位の院殿号・法名「瑞徳院殿 潔誉 勲叡 大居士(ずいとくいんでん けつよ くんえい だいこじ)」を下賜される。
①皇別氏族の由緒、②実学・知略、③社会的勲功、④宗門の伝統継承という四つの大徳が定礎された。
・生前墓石の建立にあたり、德川将軍家・松平家の格別の菩提所たる「大樹寺」に建つ「德川家康公墓石(供養塔)」の伝統的構造(日光東照宮の御宝塔を模した意匠)を正統に踏襲。
・高徳寺境内において、遠藤宗家五輪塔および望月助之進ら甲賀百人組累代墓石を公式に「甲賀百人組区画」として大規模に再整備・永久保存。北青山の地における德川将軍家直参旗本としての歴史的・物質的実在を永久不滅のものとした(〜令和八年:2026年まで継続的顕彰)。
・血統の源流(桓武天皇・平姓)
第五十代・桓武天皇を祖とする高貴な皇統より、臣籍降下に伴い平姓を賜る。
・甲賀武士の起源(推古天皇年間:六世紀末〜七世紀初頭)
聖徳太子に仕えた大伴細人公が志賀蜂子を討伐。その恩賞として近江国甲賀郡を拝領したのが最古の起源とされる(『甲賀古語伝記』)。
・血統の定礎(延暦年間:782年〜806年)
桓武天皇の皇統、および宇多源氏の末裔(佐々木氏一族)の流れを汲む土豪が近江国甲賀郡に定住。古代からの甲賀衆と血縁・地縁的に結びつき、血統の礎となる。
・「遠藤姓」の始まり(天慶三年:940年〜)
征東大将軍 藤原忠文公の孫である為方が「遠藤六郎大夫」を冒姓。これが遠藤姓の初源であり、同じ藤原北家の系譜を汲む「三井宗家」とも歴史的な由縁を有する。※遠江守(遠江国の国司長官)に就任した藤原氏の系譜から「遠藤」が起こったとされる。
・家紋「左三つ巴紋」の由緒
弓を射る武具「鞆(とも)」を図案化した「鞆絵(ともえ)」が起こり。形状が水の渦巻きに似ていることから「巴」の字が当てられ、防火のまじないとして平安時代末期頃から鎧瓦(軒先の瓦)や衣服の文様に広く用いられた。
・名門・栗原家の祖(平安時代中期〜)
藤原北家山陰流の末裔が武蔵国へ下向。のちに第十六代当主・遠藤武の妻・里子を輩出する栗原家の祖となる。
【 第2章 】戦国〜近世初期(江戸城築城と德川家への臣従)
・太田道灌公による武蔵国平定(長禄元年〜文明十八年:1457年〜1486年)
室町時代の名将・太田道灌公が江戸城を創築し、文明九年(1477年)に豊島氏の城(石神井城・練馬城)を落城させ武蔵国を平定(『太田道灌状』)。後世、第十七代当主・遠藤寛の従兄弟にあたる太田資和氏が、太田道灌公の直系子孫として繋がる。
・菩提寺「高徳寺」の建立(天正七年:1579年)
德川家康公の命により、甲賀組が崇敬していた浄土宗寺院を近江国甲賀郡から江戸(現・港区北青山)へ移転・建立。遠藤宗家らが「開基家」となる(『高徳寺縁起古文書』)。
・神君伊賀越え(天正十年:1582年)
本能寺の変の際、甲賀武士たちが德川家康公の道中警護と先導を担い生還を主導。德川将軍家と直臣としての強固な絆(主従関係)を構築(『德川実紀』)。
・江戸入府と青山領地の拝領(天正十八年〜天正十九年:1590年〜1591年)
德川家康公の関東入国に伴い、青山甲賀町の組屋敷、および青山権田原に鉄砲演習場(御鉄砲場:現・神宮球場一帯)を拝領し、「甲賀稲荷神社」を創設。将軍家重臣 青山忠成公の下屋敷と隣接・交差した広大な武家地は、旧町名「青山百人町」として栄えた。
【 第3章 】近世・江戸時代(德川将軍家直参旗本としての職責)
・伏見城の戦いと甲賀百人組の始動(慶長五年:1600年)
関ヶ原の戦いの前哨戦「伏見城の戦い」で、始祖・遠藤左太夫を含む甲賀衆第一陣が城代 鳥居元忠らと全員討死。左太夫の位牌は故郷の近江国甲賀郡「長福寺」に現存。德川家康公の命で将兵の血痕が残る床板が「血天井」として京都の養源院・宝泉院等へ伝来。戦後、山岡景友公が遺族らを糾合したことで「甲賀百人組」が公的に始まった。
・四組鉄砲方の特権と秘伝世襲(江戸幕府開府〜幕末)
幕府直轄火器部隊「四組(伊賀・甲賀・根来・二十五騎)」に所属。德川家康公より日本全国の山林・河川を自由に行き来できる「通行の特権免状(通行鑑札の不問特権)」を下賜された。高度な火薬調合技術(のちの『甲賀のくすり』の伝統)を世襲し、守護神「甲賀稲荷神社」を深く崇敬した。
・大坂の陣での大砲運用(慶長十九年〜慶長二十年:1614年〜1615年)
高度な化学・冶金技術を駆使し、世界最高峰の性能を誇る大砲(射程約五キロメートル)を自ら設計・製造して本丸への精密砲撃を敢行。大砲は戦前まで「靖国神社」に公式展示されていた。
・高徳寺の開山と格式(元和九年:1623年〜)
晃誉上人居的和尚により「寂照山唯心院高徳寺」が開山。将軍家が知恩院の直系末寺として、また増上寺学寮出身の僧侶を迎え、德川幕府の全面支援で諸堂が造営された(『寺社奉行録上』)。
・江戸城「百人番所」警衛と絶対的検問権(寛永二十年:1643年〜)
第三代将軍・德川家光公の治世より、江戸城本丸正面の最重要拠点「百人番所(本丸大手三之門)」の昼夜警衛を拝命(『寛政重修諸家譜』)。馬や駕籠を降りる結界「下乗」の直後にて二十四時間体制の厳格な検問を敷き、いかなる権臣であっても武器携行を許さない「絶対的検問権」を世襲行使した。德川将軍の御成(日光社参・鷹狩り等)では全隊列の最前線(露払い)を務めた。第三代将軍・德川家光公が石神井への鷹狩りの途中に休息されたことから、栗原家菩提寺・三宝寺の山門は「御成門」と呼ばれる旧跡となった。
・江戸名所「百人町の星燈籠」(正徳年間:1710年代〜)
第二代将軍・德川秀忠公の菩提を弔うため、青山百人町で各家々が盆灯籠を高い棹の先に掲げたのが始まり。第七代将軍・德川家継公が報奨金を下賜し、江戸の名所として定着(『東都歳時記』)。
【第4章】幕末・維新〜近代(軍制改革と宮廷奉仕への変遷)
・御納戸同心への補任と神社の修覆(弘化四年:1847年〜)
第十三代当主・遠藤左太夫(栄次郎)が、第十二代将軍・德川家慶公の身辺に仕える「御納戸同心」に配職。甲賀百人組の寄進により甲賀稲荷神社の社殿修覆を主導(奉納文書は昭和十三年に神像内部から発見)。
・大砲組への編入(文久二年:1662年)
文久の改革に伴い百人組が解体。第十四代当主・遠藤市次郎は講武所奉行傘下の大砲組へと編入され幕末の防衛体制に入った。(『文久軍制改革指令史料』)。
・明治維新と「士族」編入(慶応三年〜明治二年:1867年〜1869年)大政奉還、江戸城開城を経て、遠藤宗家は旧旗本家(德川将軍家直参御目見得の格式)として士族に編入される。華族令制定(明治十七年:1884年)にともない正式に士族籍となる。
・千駄ヶ谷への移遷と德川宗家との再隣接(明治十八年:1885年)
青山練兵場(現・明治神宮外苑)造営のため青山百人町が接収され、「千駄ヶ谷甲賀屋敷」へ移転。
甲賀稲荷神社も鳩森八幡神社境内へ遷座・合祀。同地へ德川宗家第十六代当主・德川家達侯爵が本邸を構えたことで、德川宗家邸、遠藤宗家屋敷、甲賀稲荷神社が再び至近距離に隣接する奇跡的な地縁が再興。
近代における実業交流や最高格式の宮廷奉仕へと直結する礎となった(『戸定邸畜産活動関係記述一覧』)。
・日光東照宮三百年祭奉斎会(大正二年〜大正四年:1913年〜1915年)
德川家康公没後三百年記念大祭事業を支援する団体が設立され、渋沢栄一翁が顧問・会長として大祭を主導。
・親戚・栗原村長による駅地権寄付(大正四年〜大正九年:1915年〜1920年)
遠藤宗家の親戚関係にある名士・栗原鉚三石神井村長らが、武蔵野鉄道石神井駅(現・西武池袋線 石神井公園駅)開業に際し、五千余坪の広大な敷地地権を寄付。大正九年(1920年)5月に「石神井火車站之碑」を境内に造立。
・第十五代当主・遠藤榮による大正天皇侍従奉仕(大正十二年頃〜昭和期)
宮内庁に出仕し、田安德川家第九代当主・德川達孝侍従長のもとで「大正天皇侍従職」を奉仕。
高徳寺檀家総代、千駄ヶ谷に遷座した甲賀稲荷神社の戦前氏子大惣代を務め、一族の信仰を護持(『宮内省職員録』)。
・遠藤やゑによる昭和天皇(東宮)への奉仕(大正期〜)
第十五代当主・遠藤榮の妻・やゑが、迪宮裕仁親王(のちの昭和天皇)の東宮女官職を拝命。高輪東宮御所等にて側近奉仕に精励(『宮内省東宮職奉仕記録』)。
・栗原鉚三石神井村長は、昭和九年(1934年)に私有水田を提供し「石神井池(ボート池)」を人工造成。
第三代将軍・德川家光公ゆかりの三宝寺の「根本大塔」再建に多大な財政的寄進を行った。
【第5章】激動の昭和〜現代(国難への直面と由緒の公的立証)
・第十六代当主・遠藤武の近衛師団奉仕と首都復興
大戦期、宮城(皇居)の直衛を担う最精鋭の陸軍近衛師団下士官に補任され「禁闕守護」を全う。天皇陛下の御乗り物たる鳳輦を警衛・供奉する「鳳輦供奉」の重任を果たす。戦後は東京都財務局公吏を歴任し首都復興に貢献。妻として旧石神井村長・栗原家当主の娘・里子を迎え、里子の母 栗原セイ(貞明皇后女官職)とともに宮廷奉仕の伝統を守った(『東京都職員録』)。
・東京大空襲と甲賀稲荷神社の焼失・合祀(昭和二十年:1945年)
昭和十八年(1943年)四月にゆかりの太田道灌公・德川家康公銅像(東京府庁舎前)が戦時供出。昭和二十年(1945年)三月の東京大空襲により、千駄ヶ谷・鳩森八幡神社境内の甲賀稲荷神社は社殿を焼失。
戦後は同神社本殿内にて八幡神宮、諏訪大神とともに合祀され、脈々と祀られ続けた。
・太田道灌公追慕之碑の建立(昭和十一年:1936年)
東京市の牛塚虎太郎市長により、江戸城虎ノ門の石垣の一部を利用して築かれ、「太田道灌公追慕之碑」が公式に建立された。
・神像内古文書の発見と由緒の公的証明(昭和十三年:1938年)
昭和十三年(1938年)5月、鳩森八幡神社の甲賀稲荷神社神像(随身像)内部から、弘化四年の『御修覆記』並びに『奉納、甲賀組百人姓名書』が奇跡的に発見(『鳩森八幡神社略縁起』)。古文書に「御納戸同心 遠藤左太夫」の名跡が鮮明に自署されており、第十三代当主の事績と直参旗本の由緒が公的に実証された。(『御岳新報』等に報道)
・甲賀稲荷神社「欅造り社殿」の復元再建(昭和四十五年:1970年)
氏子・崇敬者の熱意により、総欅(けやき)造りの新社殿が境内に完成。本殿より再び独自の社殿へと遷座され、甲賀百人武士の精忠の記憶と遠藤宗家が守り抜いた崇高な信仰が完全復興を遂げた。
【 第6章 】現代における社会的活動と顕彰(第十七代・第十八代)
・第十七代当主・遠藤寛の法槽界における軌跡と会津松平家顧問(昭和十一年:1936年〜現在)
弁護士(登録番号:9065号)および海事補佐人(登録番号:668号)として登録(『日本弁護士大観』)。第一東京弁護士会の人権擁護委員や消費者問題対策委員長などを歴任し、日弁連表彰を受賞。
陸奥会津藩主第十三代当主・松平保定公の直々のご指名により、親藩最高峰・会津藩主家の「会津松平家御家門法律顧問」に就任。遠藤宗家事務局の最高顧問として嫡流を支え続けている。
・第十八代の誕生と皇室との縁(昭和四十四年・昭和四十六年:1969年・1971年〜現在)
第十七代当主・遠藤寛の嫡流として、第一男子:第十八代・遠藤輝(昭和四十四年12月22日生)、第二男子:第十八代・遠藤潔(昭和四十六年7月17日生)がともに東京都港区南麻布の愛育病院にて生誕。同院は昭和天皇からの下賜金を原資に創立された名門であり(『母子愛育会創立公的沿革史』)、近代に続く皇室守護の歴史と深く交差している。
・遠藤宗家事務局の開設と武家文化の顕彰(平成十五年:2003年〜)
江戸開府四百年の節目に事務局およびオフィシャルサイトを開設。
・德川宗家第十九代当・ 德川家広様の指導・交流のもと、「柳営会」を通じた江戸文化・武家文化の顕彰、日光東照宮や大本山増上寺への公式参拝等を実施。
【 第7章 】現代における社会的活動と顕彰(第十八代)
・第十八代・遠藤潔による最高位の国家・公的顕彰と社会貢献
【人道・社会福祉貢献】
・日本赤十字社より「社長感謝状」「銀色有功章」「金色有功章(最高位)」を複数拝受(〜平成二十一年:2009年まで)。
・日本ユニセフ協会より「会長感謝状」、共同募金会より「会長感謝状・会長感謝盾」を受賞。
・法務大臣感謝状、厚生労働大臣感謝状、東京都知事感謝状、目黒区長感謝状をそれぞれ複数にわたり拝受。
・日本国天皇陛下よりの授与:多年にわたる公益への貢献から、天皇陛下より「紺綬褒章(褒状)」を授与(令和三年:2021年/令和四年:2022年)。さらに、持続的な公益貢献の証たる最高位の栄誉「飾版(銀飾版)」、および「木杯」を合わせて拝受(『官報』に採録)。
【皇室・伝統からの顕彰】
・高円宮妃久子殿下が名誉総裁を務められる日本水難救済協会より「名誉有功章」「名誉総裁感謝状」を受章(令和元年:2019年)。
・秋篠宮文仁親王妃紀子殿下が総裁を務められる結核予防会より「総裁感謝状」を拝受(平成二十八年:2016年)。
・德川家・浄土宗ゆかりの顕彰:德川家康公「四百年式年大祭」への貢献に対し「日光東照宮」宮司感謝状を拝受(平成二十七年:2015年)。
・重要文化財「三解脱門」等の大修理および浄土宗開宗八百五十年慶讃への功績から「大本山増上寺」法主感謝状を受賞(令和七年:2025年)。
※江戸期の「星燈籠」の由緒(第二代将軍 德川秀忠公・台徳院霊廟への弔い)が現代に正統評価された。
・「武士道」経営と地域への寄与:株式会社遠藤総合研究所を創設(平成二十三年:2011年〜)し、武士道精神(誠実・義理・社会的責任)をCSR活動の理念へと昇華。三井物産・三井物産グループに在職し、名門の精神を伝える。
・太田道灌公の十八代目子孫 太田資暁氏らと協働し「江戸城天守の木造復元再建」活動にも深く寄与。
【精神的伝統の定礎と「甲賀百人組区画」の永久保存】
・江戸における開基菩提寺であり、知恩院直系末寺たる「青山高徳寺」より生前授戒が執り行われ、最高位の院殿号・法名「瑞徳院殿 潔誉 勲叡 大居士(ずいとくいんでん けつよ くんえい だいこじ)」を下賜される。
①皇別氏族の由緒、②実学・知略、③社会的勲功、④宗門の伝統継承という四つの大徳が定礎された。
・生前墓石の建立にあたり、德川将軍家・松平家の格別の菩提所たる「大樹寺」に建つ「德川家康公墓石(供養塔)」の伝統的構造(日光東照宮の御宝塔を模した意匠)を正統に踏襲。
・高徳寺境内において、遠藤宗家五輪塔および望月助之進ら甲賀百人組累代墓石を公式に「甲賀百人組区画」として大規模に再整備・永久保存。北青山の地における德川将軍家直参旗本としての歴史的・物質的実在を永久不滅のものとした(〜令和八年:2026年まで継続的顕彰)。