遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

「偃武御守」の物品寄付について

2022年04月01日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家は、持続可能な社会の実現のために、人道復興支援、平和維持分野での社会貢献活動を進めて参ります。

遠藤宗家は「偃武御守」(御守:京都西陣織、桐箱:宮内庁・徳川ミュージアム御用達 箱義桐箱店)を制作し、社会福祉団体等に物品寄付をします。偃武(えんぶ):武器を伏せて、戦争をやめること。天下泰平になること。

本件は、遠藤宗家が社会貢献活動基本方針に定める「人道的課題対応」、「次世代育成」に基づくものであり、今後も積極的に当事業をサポートしていきます。また、本物品寄付は、国際社会の平和と安定に対する理解が深まることに繋がると考えております。

德川家康公は大坂の陣を終えて、豊臣氏を滅ぼした直後の慶長20年(1615年)に、禁中並公家諸法度、武家諸法度、仏教の各宗派と格式の高い神社のそれぞれとの間で定めた社寺法度を公布しました。さらに元号を慶長から「元和」と改めて「元和偃武」とすることで、戦乱が続いた日本の和平を見据えた宣言をしました。

元和は「和を元(はじめる)」。偃武は「武を偃(や)める」を意味します。慶長20年(1615年)は、応仁の乱から150年近くが経過しており、当時の日本人で長期間の平和を知る者は、誰一人いませんでした。仮に自分の住む城下や村が平穏だったとしても、日本のどこかでは戦があり、それが巡り巡って自分の住む土地にも波及してくるという感覚は、誰もが抱いていました。

元和偃武とは「戦を予感する者は警戒心を強め、武装を整え、そのことがまた戦を起こしやすくする。日本は戦乱が戦乱を生む悪循環の中、この悪循環を断ち切る」という宣言でした。

※画像:偃武御守(德川宗家柳営会・遠藤宗家甲賀組)


■ 遠藤宗家
第五十代 桓武天皇を祖としながらも皇室を離れ、臣籍降下により平姓を賜る。遠藤姓の始まりは、遠江守(とおとうみのかみ=遠江国の国司の長官)に就任した藤原氏から起こったとされる。家紋は左三つ巴紋であり、「巴(ともゑ)」の起りには、武具である弓を射る時に使う鞆(とも)を図案化したもので、鞆絵とされている。その後、水が渦巻いているのに似通っているため、巴の字を当てたとされる。そのため、防火のまじないとされ、平安期の末期ごろから鎧瓦(軒先に葺く瓦)、車輿、衣服の文様に用いられた。遠藤左太夫を始祖とする遠藤宗家(旗本)は、甲賀百人武士。德川将軍家 直参御目見得。明治元年(1868年)の明治維新以降、華族令の制定により明治17年(1884年)に士族となり、第十五代当主遠藤榮(大正天皇 宮内庁 東宮侍従)を経、第十六代当主遠藤武(陸軍省 近衛師団下士官・東京都 財務局公吏)、第十七代当主遠藤寛(辯護士)に至る。