ニュースリリース|2015年

太田道灌 鎮護神

2015.09.01
遠藤 潔 遠藤宗家第十八代 父方祖母従兄弟である太田資和祖先の太田道灌は、文武両道に秀でた武将として名をはせ、東京発展の礎を築いた。

文明10年(1478)太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請し、神威赫赫として江戸の町の繁栄の礎を築いた。

やがて天正18年(1590)徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、又江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬された。

二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷祀された。世に元山王と称する地は今の隼町国立劇場附近である。

この時から別当神主を定め、神社の規模は広大に整い、広く一般衆庶も参拝し得る道を開いたが、明暦3年(1657)の大火に社殿炎上の災に遭遇。時の将軍家綱は直ちに赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地を官収して社地に充て、結構善美を尽くした権現造の社殿を造営・遷祀して、天下奉平、万民和楽の都を守護する祈願所として崇敬した。

明治元年東京奠都と共に勅使奉幣が行われ、御西下御東幸に際しては御途中御安全の御祈祷を修せしめられ、明治2年7月天下水患にあたり勅使祈晴の御事があり、宮妃御懐妊の際は御安産の御祈祷を修せられ、皇室典範帝国憲法の制定を始めとして開戦及び平和回復等の重大事に際しては、常に勅使参向御奉告が行われ、畏くも大正天皇儲宮にまします時、御参拝があり、明治天皇は御愛蔵の御太刀一振(長光)を御進献あそばされた。


●日枝神社
日枝神社は、東京都千代田区永田町二丁目にある神社。江戸三大祭の一つ、山王祭が行われる。旧社格は准勅祭社(東京十社)、官幣大社。大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。

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