ニュースリリース|2015年

遠藤宗家菩提寺

2015.08.02
遠藤 潔 第十八遠藤宗家の菩提寺である青山高徳寺は、戦時中の空襲から免れ江戸時代から現存している。

江戸幕府の入府により徳川家康公の命にて、甲賀組である遠藤宗家が開基家として天正七年(1579年)に建立した。その際、甲賀組が信仰の対象としていた浄土宗の寺院もともに近江国の甲賀郡から江戸に移転した。

嘉永二年(1849年)十一月、『徳川幕府寺社奉行』に録上したもののなかに、【浄土宗 京都知恩院未寂光山唯心院 高徳寺】とあり、甲賀組が幕府から給った年貢地が原宿村にあり、今では寺の年貢地になっていると記述されている。そのことから、遠藤榮 第十五代遠藤宗家当主(大正天皇 宮内庁 東宮侍従)等が檀家総代を務めた。

菩提寺周辺には、青山百人町には遠藤左太夫 第十四代当主遠藤宗家など江戸城警護の与力・同心の組屋敷があった。今はブランドの立ち並ぶこの辺りも、江戸時代には武家屋敷の塀に囲まれた昼でも暗い地域であった。


≪ 高徳寺 大名・旗本墓所 ≫
◆母里藩(出雲松江藩の支藩)江戸菩提寺。正室墓所。
石高:1万石
実高:9,500-10,500石程度(推計)17世紀後半には15,000石
集落:20ヶ村(正保国絵図、郡村誌などより)
人口:5,000-10,000人程度
藩主:越前松平家分家(極冠は従五位、帝鑑間詰)
菩提寺:一乗寺 島根県能義郡伯太町井尻1927 浄土宗
家紋:丸三九葉三葉葵巴(裏紋は六つ葵・三鐶三九葉三葉葵巴)

◆遠藤宗家 直系墓所。
石高:1万石以下
本国:美濃国
知行:近江国
旗本:徳川将軍家 直参御目見得
菩提寺:高徳寺 東京都港区北青山2丁目10-26 浄土宗
家紋:左三つ巴

≪ 高徳寺 歴史上人物 ≫
◆康 宗圓( 嘉永5年5月24日)墓所。
江戸時代末期の幕府医官。代々幕府に仕えた口科(歯科)の医家、本康氏の第六代にあたる。

◆河内山 宗春(文政6年7月22日)墓所。
江戸時代後期の茶坊主。講談・歌舞伎などの創作上の人物。歌舞伎・映画・テレビドラマなどの創作物では「河内山宗俊」と表記する。

≪ 高徳寺 桐の花 ≫
古くから、桐は鳳凰が棲息する木とされ、桐紋は高貴であり、皇室で使われていた。朝廷は恩賞として桐紋を多くの武家に下賜しだし、豊臣秀吉も桐紋を賜った。更に秀吉は家臣に桐紋を与えていった。

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