2015.02.03
元国連事務次長の明石氏は、日本人初の国連職員であり、事務次長にまで昇進した。
50年代の朝鮮戦争、60年代のベトナム戦争が日本にもたらした特需は「欧州にとってのマーシャルプラン」のようなものであり、64年東京、88年ソウル、2008年北京と70年間に3回アジアで開かれたオリンピックは「新興国の成人式」だった。日本では必ずしも評判の良くない国連常任理事国の拒否権は、大国を脱退、追放させないための「安全弁」だという。
現実主義に立ち、憲法9条2項は「内向き平和主義」であり「集団的自衛権は自然権」だが、靖国、歴史問題には「抑制的な態度が必要」と語った。
●明石康
特定非営利活動法人日本紛争予防センター会長、名城大学アジア研究所名誉所長、群馬県立女子大学外国語教育研究所所長、京都文教学園学術顧問、神戸大学特別顧問・特別教授、元国際連合事務次長。
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