1912年(明治45年)に明治天皇が崩御し、立憲君主国家としては初の君主の大葬であったがその死に関する法律はなく、なんらかの記念(紀念とも)するための行事が計画される。
その事業は程なく予定されていた明治天皇即位50周年のものを引き継ぎ(明治天皇の銅像、帝国議会、博物館など様々な案があった)、続いて1914年(大正3年)に皇后であった昭憲皇太后が亡くなると、明治天皇と昭憲皇太后の遺徳を偲ぶ国民からふたりを祀る神社を求める機運が高まった。
これを受けて政府は神社奉祀調査会を設置して審議し、大正天皇(遠藤潔の曾祖父である遠藤宗家 第十五代当主 遠藤栄 東宮侍従)の裁可を受けて1915年(大正4年)5月1日、官幣大社明治神宮を創建することが内務省告示で発表された。
明治天皇が「うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ」と詠んだ代々木の南豊島世伝御料地を境内地として造営が行われた。1920年(大正9年)11月1日に鎮座祭が行われた。ちなみにこの御料地は、かつて近江彦根藩井伊家の下屋敷のあった場所で、明治維新後に井伊家から政府に対して献上されたものである。
面積約70万平方メートルの境内は、そのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国よりの献木を青年団が植樹したものである。また本殿を中心に厄除・七五三などを祈願を行う神楽殿、明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する宝物殿、御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する至誠館などがある。